いきなり両想いになると、なぜ一番過酷で、途中で終わりやすいのでしょうか?
いずみさん
「最初から相性が良く、両想いっぽく始まった関係ほど、
なぜか長続きせず、途中で終わってしまうことが多い気がします。
なぜこんなにも難易度が高いのでしょうか?」
【LLL式の考え方による回答】
いきなり両想いは「登る前に頂上を見てしまった状態」
いきなり両想いになる関係は、
出会った瞬間から「うまくいきそう」「完成形が見える」状態です。
これは登山で言えば、
登り始める前に、すでに頂上の景色を見てしまった状態です。
しかも、自力ではなく、
9合目付近まで一気にヘリで運ばれてしまっている。
問題はここからです。
なぜ「一度下山」が必要になるのか
両想いのままでは、関係を作れない
本来、結婚や長期的な関係に必要なのは、
- 相手を少しずつ知る
- 期待が裏切られる経験をする
- それでも信頼を積み直す
という地味で時間のかかる工程です。
しかし、最初から両想いだと、
これらを 全部すっ飛ばした状態 で話が進みます。
そのままでは、
「本当にこの人とやっていけるのか」
を検証する余地がありません。
だから一度、
気持ちが盛り上がりすぎた状態から下山する必要がある
わけです。
下山とは何か
ここでいう下山とは、
- 相手が思い通りの人ではなかったことを受け入れる
- 本当に心やすい人は他にいるということを受け入れる
- そのうえで、全く予測もつかない、期待とは全然違う関係性を作っていかないといけないことを受け入れる
ということです。
つまり、
関係をゼロに近い地点まで戻す作業です。
これが、いきなり両想いの最大の難所です。
なぜ下山した時点で別れやすいのか
下山=失敗だと誤解されやすい
多くの人にとって、
- 盛り上がっていた関係が何か違うという疑問符であふれる
- 期待と全然違ったことを受け入れる
という出来事は、
「うまくいかなかった」「終わった」
と認識されます。
特に、
最初から両想いだった場合ほど、
下山は“後退”や“失敗”に見えるのです。
その結果、
「じゃあここまでだね」
となり、そのままお別れになるケースが非常に多い。
もう一つの理由:再登山のモチベーションが湧かない
仮に下山できたとしても、次の問題があります。
一度見た頂上は、もう魅力にならない
途中までしか登っていない山なら、
「もう一度ちゃんと登ろう」
という気持ちが起きます。
しかし、
すでに頂上の景色を知ってしまった山は違います。しかも、何なら、これから再度登ろうという山はその頂上の景色はないとわかっている状態です。
人は無意識に、こう考えます。
- もう達成感は味わった
- ここから再登山してもその時の達成感はない
- だったら隣の山を探そう
つまり、
再挑戦する理由が見つからないのです。
これが、下山後に自然消滅しやすい決定的な理由です。
だから「一番過酷」になる
まとめると、いきなり両想いが最も過酷なのは、
- ちゃんと関係を作るために一度下山が必要
- 下山すると「終わった、なんか違った」と誤解されやすい
- たとえ下山できても、再登山の動機が生まれにくい
という、
三重苦のルートだからです。
それでも登るなら、覚悟がいる
このルートを選ぶということは、
- 期待したものはないと受け入れて登る必要がある
- 常に理想の期待していたものと、現実を比較しながら登らないといけない
- 相手にもそれをしっかり受け止めてもらう必要がある
という、かなり高度な調整が必要になります。
世間で言われる
「理想の相手に出会いたい」
という願いは、
実は最初から最難関ルートを引く行為なのです。
理想じゃない相手ほど、最高の山になり得る
ということは、下山する必要のない相手ほど、最高の山になりえるということです。
最初から期待が高いわけでもなく、相手がどんな山かもわからないことはお互い様、
つまり「理解と信頼を積み上げている途中」すべてが、
比較的楽しく、学びも多い時間になります。
だからこそ、
いきなり両想い=幸運
ではなく
いきなり両想い=過酷な登山の入口
だと理解しておくことが、
判断を誤らない最大のポイントです。
